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【昭和の町の実践】

2016年9月27日「火曜日」更新の日記

2016-09-27の日記のIMAGE
なぜか賑わっている。昔ながらの店構え。何やら懐かしい森川のアイスキャンディー。よく毋がカラカラと煎ってくれた切り餅のあられ。よく兄弟喧嘩しながら食べたカレーライス。狭い路地を通り抜けると、少し広い商店街。昭和町の商店街。長い間、琥珀の中に閉じ込められていた昆虫達が新たな時代を創生している。ここは今、つとに有名になりつつある九州は大分県国東半島の付け根にある豊後高田市「昭和の町」である。この町は、江戸の時代から商工業で栄えた町で、この地域で一番元気の良かった町でもあった。昭和三十年代をピークに、市の人口は、三万三〇〇〇人から一万八〇〇〇人まで減少している。何とも失礼な行政用語であるが、「過疎」の病に冒された町でもある。「もはや戦後ではない」と経済白皙に皙かれたのが昭和三十一年で、まだ貧しくもあったが、元気のいい時代でもあった。<042601・街並み> 町には多くの商店街が並び、周辺から買い物に出てくる客で活気に満ちていた。この町は、何も手をこまねいていたわけではない。その時々に最善の努力はしたであろうが、経済変化、大型店の出店、顧客ニーズの変化、人口の減少、そし政争に明け暮れている四十年間に寂れていった。町には日中人影はほとんどなくなり、町を活かす気力もなくなった。それでも町は昔の栄養で暮らしていた。商工業の盛んだった昔から、ここは近畿からの荷受け港として繁盛し、多くの富を築いてきた場所である。昭和の町の一つの舞台である「農業倉庫」は、大地主野村家の米蔵であった。早くから「市の活性化」は叫ばれていたが、三年位前、町のほぼ中心部にある役割を終えた農業倉庫を市が購入した。商工会議所の金谷さんが、博多で背懐かしい玩具、駄菓子を扱っていた小宮さんという人を発掘し、この人を館長にして玩具を展示したおもちゃ博物館「昭和ロマン蔵」をこの農業倉庫に誕生させた。小宮さんは、昭和のおもちゃを数万点所蔵する「おもちゃ博士」でもある。たった一人と一人の結び付きから、昭和の町はふたたび香り始めた。商店主の多くの賛同を得ながら、商工会議所を中心に、会議所青年部などが積極的に町づくりに参加し始めた。商店街のパラペットカンバン(商業看板)を取ると、中から昭和の時代の意外と驚くほどしっかりとした家の姿が出てきた。この「家並みは財産」であると、そう考え出した。長い夢から目を覚まさせられた一号、二号館と、順次傷んだ部分を補修し直し、「昭和の町」の家並みが再現した。現在は二〇号館位がその姿を整え、本当の生きた町が当時の息吹きを取り戻しつつある。このようにして、長い間、凍結された氷が少しずつ溶け始めている。

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