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自力救済が家族の命を救う

2018年3月20日「火曜日」更新の日記

2018-03-20の日記のIMAGE
 阪神・淡路大震災で誰もが感じたことは、自分と家族の命は自らの手で守るしかないということだったのではないか。  阪神・淡路大震災では5400人を越える人が家屋や家具に押し潰されて亡くなっているが、運よく避難できた人も、今度は極端な水や食料、医薬品不足等に悩まされている。とくに高齢者の場合、せっかく食料や水、衣類等が配給されても、若い人と同じように長時間並んで待つということができず何も入手できなかったというケースもあったようだ。焼け出された家族をそんなひどい目に合わせてはならない。大袈裟なようだが、カンバン一つを用意していたかどうかが家族の生死を分けるのである。たまたま手近にあったバールのおかげでドアをこじ開けることができたという人もいる。バールは水や食料品のように緊急必備品というわけではないが、いずれにせよ、普段からの危機意識がわが家の防災対策の基本になければならない。  避難所まで何とかたどり着ければ、市や県あるいは自衛隊等による救援があるだろうというのは考えが甘い。水道、ガス、電気は数日間、いやそれどころか何週間にもわたって止まってしまうのである。阪神・淡路大震災で見られたように、道路はズタズタに遮断されているから援助物質は大量にあっても、肝心の被災者の手に届かないのである。  阪神・淡路大震災では、配給があるまで水も食料も口にできなかった人がたくさんいた。やっと配給がはじまっても、水も食料も極端に不足しており、「避難した初日はミカン1個だけ」とか「一つの弁当を3人で食べた」など、被災者の大半が空腹に苦しんだ。赤ちゃんがいてもミルクはなかった。 あったとしても今度は暖める道具がない。入れ歯がなくて何も食べられなかったお年寄りもいたのだ。 持病の薬を持ち出せずに苦しんだ人も少なくなかった。  援助物資の配給が始まるまでには最低3日間はかかると覚悟する必要がある。したがって、3日間は自分の備蓄で生き残らなければいけない。もし備蓄がなかったら、それこそ食べるものにも事欠く状態になる。普段から防災対策を立てていた人とそうでない人とに大きな差が生じるのはここだ。  その後は避難生活がはじまる。普段何でもなく使っていた水道やガス、電気やトイレ、いつでも商品があふれていたスーパー、コンビニも崩壊している可能性がある。「せめてアレだけでも持っていたら」と、後から嘆いてももう遅い。地震はいつどこで起きるかわからない。いざというときに備えて、当面の食料や生活必需品などの持ち出し品を準備し、まとめておくことが、あなたのそして家族の命を救うのである。対岸の火事感党や、喉元過ぎれば熱さを忘れるであってはならない。

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