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自宅でみとられたい高齢者

2018年4月9日「月曜日」更新の日記

2018-04-09の日記のIMAGE
 いまお年寄りの8割から9割の方は「家で死にたい」と望んでいるそうです。ところがその希望とは裏腹に、それが実現するのは希望者の2割に満たないということです。  今は人間の生々しい生死の姿が、日常の生活の場からすっかり隠れてしまいました。人が生まれるのも死ぬのも、産院とか病院とか専門のしかるべき施設に移ってしまったのが一つの要因でしょう。昔でしたら、お産も臨終も家の中で行われるのが普通でした。お産があるときは近所のおばさんたちも集まって、助産婦さんのかいがいしい襷姿の指揮の下、おかまでお湯などを沸かしながら、家族一同今か今かと産声の上がる瞬間を待ち構えていたものです。病人が息を引き取ろうとしているときは、それはそれで親類縁者の見守る中、往診の医師の臨終の宣告を固唾をのんで見守っていたものでした。  そこには生死という人間存在の根幹にかかおる瞬間への凝視があり、だれしもが、「いのち」に一対一で向かい合う厳粛な一瞬を経験することができました。  子どもたちが、もう成人した世代も含めて、いじめとか非行とか自殺とか自己中心で、他者を顧みない風潮が行きわたってしまったのは、このような「いのち」に真っ正面から向かい合う機会がなくなってしまったからのように思えてなりません。    それはさておき、高齢者の自宅で死にたい願いが、家族に聞き届けられない理由として、ホスピス(緩和ケア)の権威の柏木哲夫先生(大阪の淀川キリスト教病院で、わが国初めての都市型ホスピス病棟を創設)は次のような理由を挙げています。 1自宅では十分な看護ができない。 2緊急事態に対応できない。 3看護する自信がない。 4家族、親族の人間関係。  この中で、実は最後の人間関係というのが問題だと柏木先生はいっておられます。  1から3までは在宅ケアの場合は当然予想されることで、みとられる本人自身も、病院でスパゲティ状態にされてまで、生き延びたいと願わないからこその選択であるわけです。  ところが、お義理でちょっと見舞いにきただけの親戚に、家族の真剣なケアに対し、手を尽くしていないとか、人聞きが悪いとかいうことで、「なぜ入院させないのか」と非難されると、せっかくのみとり計画も崩れてしまうというのです。  今は家の狭さが1の主な理由になっているケースも多いと思いますが、「健康に住まう」終局の場で、生命の尊厳がまっとうできないのは惜しいことです。そして、健康に生きることを考えるとき、障害となるわが国古来の因習とか習慣とかが幾重にもあって、わたしたちはこれも打ち破って行かなければならないことを痛感します。

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