部屋探しは重要!快適な生活を送る方法!あたらしくらし

トップ > 平成30年4月> 22日

同潤会アパートに学ぶべきもの

2018年4月22日「日曜日」更新の日記

2018-04-22の日記のIMAGE
 RC(鉄筋コンクリート)の集合住宅は戦後の産物のように思う人が多いようですが、実は大正の終わり、昭和の初めころから造られ始めていました。  大正12(1923)年の関東大震災の後、同潤会アパートと呼ばれるRC造りの住宅団地が、東京を中心に十数ヵ所生まれたのがそれです。  当時、住まいのことは内務省(外務、商工以外のほとんどすべての国内政務を担当する巨大な役所)の担当でしたが、その外郭団体として、同潤会という財団法人ができ、震災後の住宅復興と不良住宅改良事業を目指したのでした。  戦後、住宅公団(いまの住宅・都市基盤整備公団)が建設省(現・国土交通省)の下にできたのと状況は似ていますが、建設省が考える住宅建設は、単に人の住むハコの供給が主眼であるのに対して、同潤会の場合は、団地で生活することのすべてを考えて住まいづくりを目指したことが大きな特徴です。  アパート自体のほかに、地区によっては「善隣館」と呼ばれる一種のコミュニティーセンターが構想されました。貧しかったり、障害のある人々のためには相談所や授産所(仕事場)を設け、職業教育をし、保育園を造り、また情操を養うための宗教的教育を目指しました。住まいというハコ以外に、人々が豊かに生活し、交流できるための施設と、その中身自体も「同潤会」自身で作り上げたというのです。福祉、教育、労働、宗教までまたがる仕事を同潤会は一人で成し遂げたのでした。  現代では、団地には集会所とかショヅピングセンター、さらに診療所、保育所、幼稚園、学校など、そこに住む人たちのための施設が不可欠で、最近ではデイケアセンターなど高齢者のための施設も近くにあることが望まれています。  これら必要な施設は、いまでは全体の団地計画の下で、各行政部局に委託することになります。しかし、縦割り行政のもとでは団地全体を生かすための足並みがなかなかそろわず、必要な施設ができたり、できなかったり、できても本当に住民のものになっているかどうか疑問の場合もあります。  同潤会アパートは築後75年たった今でもその半数近くが残っており、戦後の団地計画の模範となり、またメンテナンス(維持管理)次第で住まいの質と価値とがいかようにも変わるものであることを示す良い教材となっています。温故知新、超近代化したわが国のマンション、団地づくりも先人の知恵と努力に学ぶべきものがたくさんあります。

このページの先頭へ