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顧客の嫌う古い道

2018年10月9日「火曜日」更新の日記

2018-10-09の日記のIMAGE
敬遠されやすい狭い道路――知つてほしい伝統と歴史の重み>「人間中心主義」と言えば聞こえはいいが、社会には真実が幾つかあって、必ずしも現代人が考える真実が正しいとは限らない。ここではその実証例をご紹介したいと思う。私達は部屋探しのお客様やマイホーム探しのお客様を案内するが、物件が細くて曲がっている道に而していようものなら、とたんに嫌な顔をされる。「物件はすばらしいんだけど、この細い道ではねえ。車が一台やっとじゃないですか」「ええ、狭いけど昔からの道なんですよ。ガス、水道も通ってますし、まわりは大きな家が多くて緑があり、良い環境じゃないですか」「落ち着きますけど、この道じゃねえ…」。中には、道をにらみつけて文句を言う人もいる。「何よ、この道。車も通れないんじゃないの?」「いや、九尺道路といいましてね。2・7メートルあるから、充分走れます」「今どき、狄い道は遅れているよ。これからは車の時代だから、計画をたてて拡幅すればいいのにね」「曲かっているから、広げないんでしようね」。解ってもらえず、とても残念だと思う。街の道には、3つの種類がある。まず、お客様に人気のある12メートルのバイパス道路。広くて明るくて並木まで立っている。これは最近の都市計画に沿って作られた、車用の道路であり、ついでに人間も通れる。次に、5~6メートルの昔のメイン道路。もちろん、戦災で復興なった東京ではなく、千葉県の一般例の話である。そして、室町後期頃からの九尺の馬車道。ごていねいに、敵が攻めてきても一挙にやられないように、くねくねと曲がっている。昔は農民も武器を持って闘った。「七人の侍」は嘘である。中には平安時代以前の道もあり、遺跡の可能性もあるので、うっかり掘れない宝の道であり、教育委員会が眼を光らしている。この道に立つと、古代人の歩きや戦乱時代の武将の姿が目に浮かび、村祭りの御輿とハッピ姿が通り過ぎていく。ケヤキの大木や赤松は、何百年と人々の悲しみと喜びを見守ってきたのに、空を向いて無言で立っている。「友達が来ても車が止められないし、商店街だってないじやない」との言葉に、ハッと我にかえる。欠点ばかり指摘されて、お前も可哀想だね。確かに、道が狭ければ、車の交差もできないし、入退去の運搬も大変だ。お前は現代に評価されないどころか、悪者扱いされてるネ。でも、気にしなくていいよ。歴史と伝統の重みは、現代のモノサシで計ってはいけないのだから…。便利さと利益ばかり追求されるアメリカ型の文化。少しぐらい昔を考えてもいいのでは。

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