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昔の長屋と今のアパート

2018年10月12日「金曜日」更新の日記

2018-10-12の日記のIMAGE
<昔の住宅のよさを活かす――他人への思いやりを培養した長屋>人問は、いつも進歩しているとは限らない。形を変えて、時には後退していることもある。最新の物件では、2階建てのアパートにオートロックを掛けているのでびっくりすることもあるが、よく考えてみれば江戸時代の長屋には一つの出入口しかなく、共用門の木戸には木の鍵が掛かっていた。それがアパートに変わるや、各戸の玄関ドアに鍵をかけるようになって、共用門の木戸がなくなったらしい。同様に、戸数の多い賃貸マンションでは管理人の常駐が望まれるが、昔は長屋には雇われ管理人の大家がいて、賃料を集金するだけでなく、日常のクレームを処理し、入退去の面倒みからリフォーム手配までこなし、死後の葬式を差配したり、手当をもらって町内の運営・管理をやっていたのである。「大家は親も同然」と言って、いやな事もかゆい事もやり、かなりの権力があったのだと思う。その点、今の私達管理業者は賃料を集金し、ゆるやかな管104理業務はやるが、住民のプライバシーには立ち入らないし、住民を代表するわけでもない。昔から「借り」は人間独特の仕組みであって、動物には見当たらない。借りの代表的なものはお金であり、その次が借家である。江戸時代は借家を裏店(裏だな)といって裏通りに面し、裏木戸を開けて長屋に入ったが、今で言えばエントランスにあたる。通路の奥に住民共用の飲料・洗濯用の井戸があり、(おそらく)便所があった。一戸の家は間口2間、奥行き3間といって、6坪が標準である。このスパンの中に、玄関と台所、3畳間と6畳間を作るから、我慢強い人間が育つし、人情の解る子が育つ。この形態は今でも中国の農村に入ると、井戸・トイレ・洗濯の共同の場があり、一族が大挙して住んでいる。それ故、中国の田舎者は人情の解る人が多い。長屋は、良く言えば人情村、悪く言えば家庭内や夫婦のもめ事まで判る開放さが特徴。社交と扶け合いは、日常茶飯事どころか、生きる原則。お金や米の貸し借りもあり、食物や漬け物の差し入れもある。女は井戸端会議に熱中し、子供は共同体意識が強くガキ大将が育つ。その延長線上に個人の我慢と発言の制限があり、他人への思いやりを培養したのであろう。今やアパートはその逆で、入居者は隣人から隔絶し、プライバシーを守る余り挨拶をしない。中には10年住んで、隣人を知らない豪の者もいる。私は何も長屋を礼讃するのでなく、昔の住まいの良さを現代のアパ・マンに活かせないか、と考えるのである。

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