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予防にまさる健康法なし

2019年2月23日「土曜日」更新の日記

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「無病の時、慎みありて、窓ならざれば、やまい病生ぜず」『養生訓』貝原益軒病気になってしまった人は、その病気を治さなくてはならない。しかし、病気になってから病気を治すというのではなく、病気にならないように注意することのほうが、より大切なのではないか。現代においてもさかんに予防医学が説かれているが、江戸前期の儒者であり本草学者の貝原益軒(一六三○~一七一四)も、病気にならないように用心することの大切さを説いている。「病になってから薬を飲んだり、誠や灸をするより、病気にならないことのほうが、はるかにすぐれている」というのだ。たしかに、その通りである。では、具体的にどうすればいいのだろうか。貝原益軒はつぎのように述べている。「無病の時、病ある日のくるしみを、常に思いやりて、風・寒一・暑・湿の外邪をふせぎ、酒食・好色の内欲を節にし、身体の起臥・動静をつつしめば病なし」このことによって、あらゆる病気にかからないようになるわけではない。だが、われわれのとるべき基本は、十分に示されているといっていい。「世界は生きるに値するところで、美しいものが必ずあるところだ」鈴木敏夫この世は、美しいものばかりではないが、美しいものがあることはたしかだ。花も美しいし、月も美しいし、雪も美しい。人の心も。もちろん、美しいというものは人によって違う。だから、ある人にとって美しいものが、ある人にとって美しいとはかぎらない。しかし、すべてが醜いものばかりではないだろう。ということなら、美しいと思うものを発見したり、創造したりすることで、自分も社会も美しぐすることができる。そこには感動もあり共感もあって、一生を共にしていることを認歌できる。それは、十分に生きるに値することだ。生きがいとは、自分にとっての美しいものを追求することであり、自分が追求している美しいものを、みんなに共感してもらうことだ。さらに欲をいえば、この世を、自分が美しいと感じるものばかりにすることだ。もちろん、足は地についていなくてはならない。だが、「べた足」で立ったり歩いたりすることはない。堂々と立つと同時に、軽やかなリズムを忘れないことだ。鈴木敏夫氏はプロデューサー。

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