部屋探しは重要!快適な生活を送る方法!あたらしくらし

トップ > 令和2年2月> 18日

多彩な移民の歴史 自由で寛容なイギリス人気質

2020年2月18日「火曜日」更新の日記

2020-02-18の日記のIMAGE
"ロンドンの街を歩けば一目瞭然。アラブ系、インド系、トルコ系、ユダヤ系、中国系、パキスタン系、ポーランド系など.........。実に多彩な民族の人々とすれ違います。その様子は、たとえばロンドンの繁華街でもある、ピカデリーサーカス駅周辺に広がる中国人コミュニティをはじめ、ロンドン東部、テムズ川の南、ヒースロー空港近くと、いたるところで見られます。 このような移民大国ともいわれるイギリスですが、その歴史を探っていけば、暗く衰しい時代の軌跡と現在の姿が無縁でない事に気付きます。 たとえば一六世紀・テューダー朝時代に起きた宗教革命の頃、プロテスタントたちの避難所としてイギリスは多くのヨーロッパ移民を受け入れました。同時期に、奴隷貿易や大英帝国の植民地支配によってアフリカ系の人々や、インドの人々もイギリスへと入国してきました。 また時代をさらに進めると、一八世紀に起きたフランス革命以降イギリスは、自由主義者たちの受け入れ先として「自由で寛容なる国」と言われ、一九世紀半ばには、「世界の工場」となって、当時貧困層だったアイルランド系の人々が主力の労働力として急 増。ますます移民が集まって来るようになったのです。その恩恵を最も受けたといわれるのが、ユダヤ系の人々です。二〇世紀、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため、富裕層のユダヤ系の人々は保護を求めイギリスに入国。ロシア、東欧諸国からも大量の人々が押し寄せたといいます。 イギリスが移民大国になったもう一つの理由としては、イギリス人の新しい物好き気質も少なからずあったようです。「古き良き伝統を守るイギリス」という気質を持ちながらも、ロンドンでは地元パブよりも中国料理やイタリアン、日本食など各国のレストランのほうが人気だったり、自国の自動車メーカー、ローバーが倒産しても、「トヨタやBMWなどの外国車は良いよ ね」と、さして気にもしないところがあります。 また、植民地時代は言葉や文化の隔たりが移民たちを孤立させがちでしたが、一九六〇年代頃から移民の子どもたちの教育制度を見直し、移民と共存していく政策に国も積極的に乗り出しました。こうして違う文化を持った人との生活を、若い世代のイギリス人たちへ積極的に引き継いできた事が、今日の移民文化へとつながっているのかもしれません。"

このページの先頭へ