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家を捨て、有料老人ホームを選んだ理由

2020年3月11日「水曜日」更新の日記

2020-03-11の日記のIMAGE
老いは予想以上に急速にやってくる
いつものように仕事を終え、帰宅した私に一通の封書が届いていた。しばらく会っていない古い友人、稲葉幸子さん(六八歳)からであった。その内容は、三〇年以上、住みなれた自宅を売却し、有料老人ホームに転居したという知らせであった。驚いた。まだ若いのに......どうしたのだろうと、胸が騒いだ。私はオパール・ネットワークを主宰していることから、日頃から。年を重ねていく人の生き方、考え方、暮らし方。に強い関心をもっていた。いまのままではダメ、なにがなんでも、社会ぐるみで、よい方向を探しあてなければ、と全神経を尖らせていた矢先だっただけに、ぜひ、会って、老人ホームをどうして終いの住みかにしたのか、その心情を聞きたいと、電話をし、友人を訪れた。友人の老人ホームは、私がいままでいくつも見てまわった高級老人ホームの中でも、一、二番に入るほど素晴らしく理想的で、高級マンションとなんら変わりはない住まいであった。稲葉さんは戦後をシングルで生きぬいた、いまでいうキャリアウーマンの第一号ともいえる人だ。さまざまな編集分野からマーケティングの世界まで、幅広い仕事をしてきた大先輩である。ともかく、超に超をいくつ重ねても足りないほど、過激な仕事を手がけ、時間と闘いつづけてきた企業戦士でもある。そのハードな仕事の反面、稲葉さんは痴呆の母親の介護をずっと続けてきた。その生き方はけっして半端ではなかったはず。その彼女の心境になにが起こったのか、なにが彼女を老人ホームに走らせたのか、ともかく、興味があった。私は、はやる気持ちを抑えて、彼女に、「ねえ、どうして有料老人ホームを選んだの?」と切りだした。友人は、久しぶりに会ったせいか、それとも、長い間、思いを胸の中にためていたせいか、今日までの経緯を爆発させるように話しはじめた。ある取材のため、当時、時の人ともいわれた著名人六人のインタビューをしたことがあった。朝八時から夜一一時まで続いた。最後の仕事が終わって立ちあがったとき、いきなり、頭の中が真っ白くなり失神してしまった。まわりの騒ぎに気づいたとき、大勢の人に抱きかかえられていた。ストレスの重圧による失神であった。そのときに倒れて痛めた首の骨の障害はいまでも残り、ときどき始まるその痛みは、苦しかった四〇代後半から五〇代の暮らしぶりと重なって心をえぐる、と友人はいう。失神を契機に稲葉さんの人生は変貌していった。四七歳を迎えて間もないころだった。更年期と重なったせいもあり、まずまわりの色が限りなく黒に近い灰色に変わった。稲葉さんの場合、やや病的で、極端な例かもしれないが、リンゴがグレーに見えたり、常に前向きな生き方だったのが、弱気になったり、行動能力が低下していった。このことから、稲葉さんは「老いは想像以上にスピードアップしてやってくる。老後の生き方と住まいは五〇歳からでは遅すぎるくらいで、早ければ早いほどいい」とアドバイスしている。

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