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母を寝たきりにだけはしたくない

2020年3月19日「木曜日」更新の日記

2020-03-19の日記のIMAGE
悪いことは重なるもの。そのころ、会社にもちょっとしたゴタゴタがあり、くたくたに疲れきっての介護であった。おまけに年末にさしかかり、仕事を終えて病院に着くのはいつも夜半という毎日が続いた。_入院先は会社からは一時間半ほどかかり、夜中に二~三度、排尿のため起きなければならない忍さんは大変だった。しかし、忍さんの顔を見て喜ぶ母親を見ると、疲れも吹き飛ぶ思いで、がんばった。「リハビリは年をとった母親にはたいへんな負担であり、苦痛であった。最初は板にくくりつけられて、立つだけでも胸がむかついてすぐに病室に戻っていた母親が、一ヵ月も経つと、二〇?三〇分は立ちつづけることができ、ついにはマット台にほぼ垂直に座れるまでになった。しかし、あと一歩というところで、個室だったために退院を勧告されてしまった。個室は重病人とか、緊急患者を優先するところなので、やむを得ないことだった。これから母親の介護をどうするか。大阪市内のリハビリ機能のある病院に移すか、自宅に帰って住みこみのお手伝いさんを雇うか、忍さんが会社をたたんでフリーライターに戻って自宅介護をするか、三者選一を迫られることになった。わずかでも回復しつつある母の左手足の機能を低下させないために、どうするのがいちばんいいか、忍さんは悩み苦しんだ。いちばん頼りにしていたリハビリ専門の病院は、「うちは社会復帰できる人を中心にしている。その年齢じゃ、先も知れているから......」とにべもない。その態度に忍さんは強い怒りをおぼえた。寝たきりゼロのキャンペーンは年齢差別をするのか?という疑問がわいた。老人こそ、リハビリをして寝たきりにさせないようにすべきではないか。ムラムラ怒りがこみあげてきた。病院から勧められたのは、老人病院で、リハビリはつけ足しのようなものだった。忍さんはそこに母親を入院させ、寝たきりにさせたくなかった。とすれば、やはり会社をたたんで、フリーでものを書きながら、母親の面倒をみるしかないのか。

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