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仕事を続けながら母のリハビリもできる住システム

2020年3月21日「土曜日」更新の日記

2020-03-21の日記のIMAGE
さて、山本忍さんに話を戻すことにする。近山さんのアドバイスはこうだった。「なんとか、よい手段を考えるから、入居する方向で考えなさい」忍さんはうれしかった。職住近接であること、それにも増して、母親の面倒をかせられることが、なににも代えがたかった。シニアハウスの同じ建物内に診療所やデイサービスセンター遊・友・悠があることも大きな魅力だ。近山さんのアドバイスで決心がついたものの、人見知りする母親のことが気にかかっていた。ひとりでいることが心地よいという世間ずれしていない母親が、みんなとどの程度なじめるか不安があった。最初は、しばらく様子をみるために、自分のマンションからデイサービスセンターに通うことにした。出勤時に預け、帰宅時に迎えにいく毎日が続いたが、やはり予測は的中し、母親がデイサービスセンターに行きたくないとぐずりだした。忍さんが「お母さんが行きたくないなら心配だから、今日は会社を休むわ、仕方ないけど」というと、高子さんは「私ひとりで留守番しているから会社へ行っといで」という。でも、母をひとり残して出勤できるはずがない。しかたなく、会社を休んだりする日がしばらく続いていた。会社を休めば仕事ができないし、経営が成り立っていかない。忍さんは行きづまってしまった。そして、慣れない家事、母親の入浴、夜中のトイレ等々で、身体的に疲れ、それ以上に心が疲れはて、泣きだしたくなることもしばしばだった。・マンションの買い手がつかないまま、こんな状態が続いていたが、ほんとうに運よく買い手がつき、シニアマンション新町に引っ越すことができた。ここへ移ってからは、朝一〇時に一階のデイサービスセンターに母親を預けたあと、歩いて会社へ出勤という日課が始まった。高子さんも以前のように拒否反応を示さなくなった。そして、残業やなにかの会合がない限り、夜は午後七時前後に母親とともに自分の部屋に帰る平和な生活がいまも続いている。忍さんは、「私も母が倒れて以来、よほどの接待とか会合以外、お酒を飲まなくなり、優等生のような毎日を送っています。

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